イントロダクション – No Tinkering, No Innovation

はじめに

このblogは、これまでの私の活動[1]に基づいて、ソーシャルイノベーションのためのデザイン理論および実践についてわかりやすく解説をしたいと思い立ち上げたものです。一部の内容についてはすでに雑誌や論文で掲載しているものですが,字数,図表などの資料の制限もないblogというメディアを最大限に活用し、全25回の連載を通じてデザイン理論と実践についてひと通り説明を行う予定です。原則として更新は週1回のペースを保ちつつ、半年で終了させたいと考えています。気ままにプロダクトやイベントなどの告知もするかもしれません。全25回のタイトルは、ナビゲーションメニューのコンテンツに掲載しています。なお、タイトルはIDEOのTim BrownとJocelyn WyattのStandford Social Innovation Reviewの記事[2]を意識しています。

[1] http://www.dangkang.com
[2] Brown and Wyat, 2010

ターゲット

このblogの主なターゲットは、
・デザイン思考を学びたいエンジニア
・デザイン思考をソーシャルイノベーションに活かしたいエンジニア
・ソーシャルビジネスに注目し、プロダクト、サービス、社会システムのデザインに携わろうとしている方
を特に意識しています。ソーシャルイノベーションに限らず、エンジニアに限らず、実際に現地に赴いて調査を行い、何かをデザインしたいと考えているすべての方に対して何らかの有益な情報を提供できるのではないかと考えています。

デザイン思考

このblogは、タイトルにもあるように、”デザイン思考”と”ソーシャルイノベーション”という2つのキーワードに注目しています。両者とも時としてバズワードとして一人歩きしがちな単語ですが、基本的な考え方と実際のプロセスについて整理しておきましょう。

最初に思考法としてのデザインに対する考えを示した人物は、経済学者・社会学者・心理学者のカーネギーメロン大学ハーバード・A・サイモン(Herbert Alexander Simon)です。1967年の著書『The Sciences of the Artificial』(邦題『システムの科学』 )の中で、彼は、望ましい性質をもった人工物をいかにつくり、いかにデザインするかについての教育に対する重要性を主張しました。そして、人工物のデザインのカリキュラムについて7つの項目を紹介しています。本ブログでは、これらの項目について詳細な説明を避けますが、サイモンは、社会をデザインするためのカリキュラムとして6つの項目も挙げていた点に注目すべきでしょう。

人工物のデザインのためのカリキュラム

1. 評価理論:効用理論,統計的決定理論
2. 計算方法
a.リニア・プログラミング、制御理論、ダイナミック・プログラミングなどの最適代替案選択のアルゴリズム
b. 満足代替案選択のためのアルゴリズムと発見的方法(ヒューリスティックス)
3. デザインの形式倫理:命令倫理と叙述倫理
4. 発見的探索:要素分解と目的 – 手段分析
5. 探索のための資源配分
6. 構造の理論およびデザイン組織化の理論:階層システム
7.デザイン問題の表現

社会をデザインするためのカリキュラム

1. 限定された合理性
環境の複雑さが、適応システムの計算能力よりもはるかに大きい状況下での、合理性の意味。
2. 計画設定のための「データ」
予測方法,制御過程における予測とフィードバックの使用。
3. 顧客の識別
専門家-顧客関係、顧客としての社会、駆け引きの当事者としての顧客。
4. 社会計画における組織
社会計画は、主に組織内部の人によって作られるが、それと同時にその社会計画の重要目標が、一般の社会組織や特定の個別組織を作ったり変えたりする。
5. 時間的・空間的視界
時間の割引き,進歩の定義,注意の管理。
6. 究極目的のないデザイン活動
将来の柔軟性のためのデザイン、目的としてのデザイン活動,進化するシステムのデザイン過程。

デザイン思考(Design Thinking)という言葉それ自体が著作物として姿を現すのは、建築家ピーター・ロウ(Peter G. Rowe)の著書『Design thinking』(邦題『デザインの思考過程』 )を待たねばなりません。ロウのデザイン思考は、建築家あるいは都市設計立案者によって利用されてきた問題解決プロセスに対して、システム思考に基づいて説明を試みるものでした。それは、「ユーザの関心を理解」し、「より優れたプロダクトをデザイン」するための方法論としてのデザイン思考ではありませんでした。

このようなデザイン思考の方法論を一躍有名にした会社があります。デザインコンサルティングファームIDEOですね。IDEOの設立者であるディビッド・ケリー(David Kelly)は、彼の著書『The Art of Innovation』(『発想する会社』)の中で、IDEOにおけるデザインプロセスを以下のように説明しています。

プロセス

Understand

  • ユーザの欲求や問題について理解する。
  • ユーザがいかに製品やサービスを知覚しているかを理解する。
  • Observe

  • 何が人々を困惑させているか、何が好きで何が嫌いか、現在のプロダクトやサービスによって明らかになっていない潜在的な余裕などを、実世界の人々を観察することで発見する。
  • 収集したデータをすべてひとつの部屋に集める。
  • Visualize

  • 新しいコンセプトとそれを使う顧客を視覚化する。
  • ロールプレイ、ストーリーボード、プロトタイプなどを活用する。
  • Evaluate & Refine

  • アイディアのプロトタイピングを行う。
  • いくつかのプロトタイプを制作する。
  • Implement

  • 製品化を行い、マーケットへ送り出す。
  • さらに、IDEOの現在のCEOであるティム・ブラウン(Tim Brown)はHarverd Business Reviewの彼の記事(『Design Thinking』)[3]の中で、以下のようにデザイン思考とデザインプロセスを定義しています。

    [3] Brown, 2009

    定義

    デザイン思考は、技術的に実現可能なものやビジネス戦略を顧客価値や市場機会へと転換可能なものと、人々の要求とを一致させるために、デザイナの感覚と手法を利用する方法、である。

    プロセス

    Inspiration

  • 問題や機会を定義する。 
  •  

  • 世界を見る – 人々が何を考えているのか、何をしているのか、何を要求しているのかを観察する。
  • プロジェクトルームで情報を共有する。
  • 情報を整理し、可能性を統合する。
  • Ideation

  • ブレインストーミングを行いアイディアを生成する。
  • プロトタイピングを行いテストを行う。
  • Implementation

  • 市場に送りだすための計画を立てる。
  • ここまで3つのデザインプロセスを紹介してきました。各プロセスの区分的な違いはあれ、全てに共通していることは、以下のプロセスです。

    1. フィールドへ赴きデータを取得する
    2. 課題を発見し、仮説を構築する
    3. プロトタイピングを行う
    4. フィールドでテストを行う
    5. 製品を実装する

    1のプロセスでは、フィールドでのデータの収集が不可欠です。1で得られたデータを目的に併せて質的、もしくは量的に分析を行い、2のプロセスにおいてモデルを構築します。3-4のプロセスは、特に何度も繰り返す必要があります。様々な技術を試し、課題をもっともエレガントに解決できるプロトタイプを構築するこのプロセスを”Tinkering”や”Iteration”と呼びます。Tinkeringの語句的な意味はLongman Dictionary of Contemporary English[4]では、以下のように記載されています。

    To make small changes to something in order to repair it or make it work better

    [4] Longman Dictionary of Contemporary English, Tinkering

    今回の記事のタイトルは、”No Tinkering, No Innovation” です。このフレーズは、私が勝手に造ったいかにもな言葉ですが、イノベーションに不可欠な非常に重要なプロセスであると考えています。何より、ステップ2の段階 – つまりはアイディアであり、仮説の段階 – では、プロジェクトは10%も完了していません。その仮説が望ましい結果をもたらす保証はありませんし、受け容れられる可能性も保証できません。何より現物が無い時点でモノとして存在していません。テストできる状態となって初めて50%の完成といってよいでしょう。80%の完成度まで近づけるためにユーザテストをさらに繰返す必要がありますし、100%の完成度、すなわち、ユーザが満足するレベルまで引き上げるためには、80%の状態まで費やしたコストを同じだけのコストがさらに必要となるでしょう。最も重要なことはプロトタイピングとテストの繰返しでしか、プロダクト・サービスの完成度は決して向上せず、イノベーションも実現できないということです。

    ソーシャルイノベーション

    ここからはソーシャルイノベーションにトピックを移します。イノベーションの定義および起源、様々な派生形については、第01回で扱う予定ですので、今回は簡単にイノベーションの定義を紹介しつつ、ソーシャルイノベーションの定義、イノベーションとソーシャルイノベーションの違いについて触れておきます。

    イノベーション

    そもそもの英語におけるイノベーションの意味とは、”something newly introduced, such as a new method or device”ですが、経済におけるイノベーションという語句は、1912年に発行された経済学者のシュンペーターの著書『経済発展の理論』の中で5つのパタンとして定義されています。原文とそれに対する詳細な対訳については第02回で説明しますので、今回は日本語で簡潔に説明いたします。

    1. 新しい製品、もしくは良質な製品の導入
    2. 新しい生産方法の導入
    3. 新しいマーケット(市場/販路)の開拓
    4. 原材料や半製品の新しい供給源の開拓
    5. 新しい組織の実現

    これら5つのタイプのイノベーションのいずれかに当てはまる成果物が産み出されたとき、それをイノベーションと呼びます。ソーシャルイノベーションも同様に、これら5つのパタンのうちいずれかに該当すると考えられます。

    ソーシャルイノベーション

    ソーシャルイノベーションは、Phillsら[5]によって、”ある社会的な問題に対して、従来の方法よりも、より効果的、より効率的、より持続性がある新しい解決法、そして、個人よりも全体としての社会に対する価値を生み出す、新しい解決法”と定義されています。さらに、単なるイノベーションとソーシャルイノベーションとの違いとして、”起業家、投資家、あるいは消費者などの個人に対する価値よりも、全体としての公共や社会に対する価値を生み出すかどうか、このバランスがどちらに触れるかで区分する”とPhillsは主張しています。本blogでは、このPhillsの定義を継承します。

    [5] Phills Jr., Deiglmeier and Miller, 2008

    まとめ

    さて、今回の記事は、イントロダクションとして、タイトルにもある”デザイン思考”と”ソーシャルイノベーション”の定義について概観してきました。デザイン思考については、起源から最新の考え方までを俯瞰し、本blogにおけるスタンスを説明いたしました。また、ソーシャルイノベーションについては、イノベーションとソーシャルイノベーションの違いについて確認し、本blogにおけるスタンスを説明したしました。イノベーションについては第02回、デザイン思考については第11回でより詳細について述べる予定です。

    次回は、イノベーションの起源と派生系についてもう少し掘り下げていきたいと思います。

    2012.02.16
    サイモンの引用部に誤りがあったため修正いたしました。また、ロウのデザイン思考に関する説明を追記いたしました。

    コメント “イントロダクション – No Tinkering, No Innovation

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