前回は、本blogのタイトルにも使用している2つのキーワード – デザイン思考とソーシャルイノベーション – に関して、それぞれの定義を中心に論じました。今回は、キーワードのうちの1つであるイノベーションについてもう少し掘り下げてみたいと思います。
イノベーションという単語は、企業広告、大学教育、研究、様々な場所で用いられ、それを目にする人も若干食傷気味かもしれません。何も考えずに単語だけ使用するとたまに恥ずかしい目に会うこともあるので、まずは整理しておく必要があります。今回は、イノベーションの起源から始まり、派生したいくつかのイノベーションの類型について述べていきたいと思います。具体的には、シュンペーターによるイノベーション、破壊的イノベーションと持続的イノベーション、オープンイノベーション、ソーシャルイノベーションです。これらのそれぞれについて、起源と定義をまとめてみましょう。
イノベーション
前回ソーシャルイノベーションの定義の部分で少し述べましたが、そもそもの英語におけるイノベーションの意味とは、”Something newly introduced, such as a new method or device”、すなわち、新しい手法や道具などどいった新しく生み出される何か、とされています。これに対して、経済学上におけるイノベーションという語句は、1912年に発行された経済学者のシュンペーターの著書『経済発展の理論』の中で5つのパタンとして彼によって定義されました。以下に原文と拙訳を掲載いたします。
1. The introduction of a new good – that is one with which consumers are not yet familiar – or of a new quality of a good.
2. The introduction of a improved or better method of production, which need by no means be founded upon a discovery scientifically new, and can also exist in a better way of handling a commodity commercially.
3. The opening of a new market, that is a market into which the particular branch of manufacture of the country in question has not previously entered, whether or not this market has existed before.
4. The conquest of a new source of supply of raw materials or half-manufactured goods, again irrespective of whether this source already exists or whether it has first to be created.
5. The carrying out of the better organization of any industry, like the creation of a monopoly position (for example through trustification) or the breaking up of a monopoly position.
1. 消費者にとって馴染みのない新しい製品、あるいは、より良質な製品の導入
2. 改良された、あるいは、より良い生産方法の導入。
これは科学的に新しい発見に基づくものではなく、ある商品の商業的扱いに関するより良い方法を含むものである。
3. 新しいマーケット(市場/販路)の開拓。
当該国の産業部門が従来は参加していなかったマーケットの開拓。このマーケットが以前存在したかどうかは問わない。
4. 原材料や半製品の新しい供給源の開拓。
この場合も、供給源が既存のものであるか、あるいは初めて創り出される必要があるかどうかは問わない。
5. 生産のためのよりよい組織の実現。
すなわち、例えばトラスト化などによる独占的地位の形成、あるいは、その打破など。
さて、シュンペーターは、イノベーションの種類は5種類存在し、すべてのイノベーションはそのいずれかに当てはまる、と主張します。従来、日本語におけるイノベーションは”技術革新”と訳され、上の5つのタイプのうち1のみがイノベーションと見做されてきました。これは、「もはや戦後ではない」のフレーズが記載された、1956年の『経済白書』の中で、イノベーションが初めて登場した際、イノベーション=技術革新と翻訳されたためであると言われています。この経済白書については経済白書データベース[1]で原文を確認することができます。
[1] 経済企画庁, 1956
本blogは、このような”イノベーション=技術革新”ではなく、”イノベーション=5つのパタンのいずれか”という視座を継承し、この5つのパタンを踏まえたソーシャルイノベーションを実現するための理論と実践について論じることを目的としています。
さて、ここからはイノベーションの派生系として、先に挙げた以下の3つについて述べていきたいと思います。
持続的イノベーションと破壊的イノベーション
まず、持続的イノベーションとは、従来製品の改良を進めるイノベーションを指します。一方で、破壊的イノベーションとは、 短期的には従来製品の価値を破壊するかもしれませんが、全く新しい価値を生み出すイノベーションを指します。
これら2つのイノベーションは、ハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセン(Clayton M. Christensen)が、1997年の著書『The Innovator’s Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail』(邦題『イノベーションのジレンマ – 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』)のなかで初めて提唱した概念です。彼は、持続的イノベーションに集中する巨大企業は、改良することだけに注力し、顧客の需要に目が届かず、機能的には劣るものの別の新たな特色を持つ製品を作り出す新興企業に敗れる現象を”イノベーションのジレンマ”として理論化しました。
例えば、CDやDVDは、より音質において劣るダウンロード形式のデジタルメディアによって破壊されたテクノロジーです。この現象の背後にある原因として、1990年代に、シングルCDの出荷が徐々に停止されたことにより、消費者が個別の楽曲を購入する手段を失ったことが指摘されています。この市場は、当初はNapstarなどのピアツーピアのファイル共有テクノロジーに、やがてiTunes Music Store、Amazon.comなどのオンライン販売業者によって席巻されていきました。
オープンイノベーション
次に、オープンイノベーションは、ハーバード・ビジネス・スクール助教授のヘンリー・チェスブロウ(Henry W. Chesbrough)が2003年に出版した『Open Innovation: The new imperative for creating and profiting from technology』(邦題『OPEN INNOVATION―ハーバード流イノベーション戦略のすべて』)において提唱した概念であり、企業が、ある技術を発展させようとする時、内部のアイディアだけではなく、外部のアイディアを使うことができる、もしくは、使うべきであるという考え方です。オープンイノベーションの背後にある考え方は、企業は完全に自社の研究に頼る余裕はなく、代わりに他の会社からモノや特許を購入したり、ライセンスを受けたりすべきであるという思想です。さらに、内部の発明はその会社のビジネスで使われるべきではなく、その会社の外に出されるべきである、という思想をも含みます。
例えば、P&Gは、技術や知的財産について社外と広く交流し、より大きな価値を生み出すオープン・イノベーションモデルとして”Connect + Develop”[2]を推進しています。具体的な成功事例として、2005年より同社が販売している「プリングルズ・プリンツ」があります。これは、1枚1枚のポテトチップスに、スポーツや音楽に関するクイズや豆知識を印刷したものです。社内には、1枚1枚に画や文章を印刷する技術はなかったものの、イタリアの大学教授が経営する小さなパン屋がその技術を持っていることを突き止め、これを改良することで、2年かかるとされた市場への投入期間を1年に短縮し、開発コストも大幅に削減できたと『Connect and Develop: Inside Procter & Gamble’s New Model for Innovation』[3]において報告されています。
ユーザイノベーション
ユーザーイノベーションは、マサチューセッツ工科大学のエリック・フォン・ヒッペル(Eric von Hippel)教授が提唱するイノベーションの発生原理であり、供給者としての製造業者、提供者よりも個別のエンドユーザやユーザコミュニティによって多くのプロダクトやサービスのイノベーションが起きるとするものです。彼は、この原因を、多くの消費者が避けている問題に対して、一部のユーザが取り組み、既存の製品を修正したり、完全に新しい製品をつくりだすなどして、その問題を解決するため、と説明しています。彼のオープンイノベーションに関する2冊の著作(『Democratizing Innovation』『The Sources of Innovation』)はオンラインにて公開されており、誰もが自由にダウンロードすることができます[4]
ソーシャルイノベーション
最後に、ソーシャルイノベーションです。すでに第01回にて述べたように、ソーシャルイノベーションは、Phillsら[5]により、以下のように定義されています。
A novel solution to a social problem that is more effective, efficient, sustainable, or just than existing solutions and for which the value created accrues primarily to society as a whole rather than private individuals.
すなわち、ある社会的な問題に対して、「従来の方法よりも、より効果的、より効率的、より持続性がある”新しい”解決法、そして、個人よりも全体としての社会に対する価値を生み出す、”新しい”解決法」と定義されています。
特に、単なるイノベーションとソーシャルイノベーションとの違いとして「起業家、投資家、あるいは消費者などの個人に対する価値よりも、全体としての公共や社会に対する価値を生み出すかどうか、このバランスがどちらに触れるかで区分する」とPhillsは主張しています。本blogのスタンスも、このPhillsの定義を継承したいと思います。
[5] Phills Jr., Deiglmeier and Miller, 2008
ソーシャルイノベーションとソーシャルアントレプレナーシップ、ソーシャルエンタープライズ(社会的企業)は併せて語られることが多いですが、Phillsらは、これらとの違いをも、同論文の中で明確に述べています。ソーシャルアントレプレナーシップ、ソーシャルエンタープライズはともに、その目的を社会的な価値の創造においています。前者は、新たな組織を立ち上げようとする人々の個人的な資質に焦点を当てており、後者は、組織に焦点を当てています。しかしながら、両者とも、そもそもの起源が非営利セクターであり、結果として、彼らの活動を非営利に制限しているという点で限界を孕んでいます。一方で、ソーシャルイノベーションは、社会全体に対して、財政的かつ社会的な価値を提示するメカニズムとして、これら2者とは根本的に異なるものであるとPhillsは主張します。
なお、実際のソーシャルイノベーションの事例は、第4-10回に渡って、企業、NPO、大学、研究機関別に紹介していく予定です。
まとめ
今回はイノベーションについて、その定義、および、派生系について述べてきました。本blogは、キーワードの1つにソーシャルイノベーションを掲げています。ソーシャルイノベーションに注目する理由は、すでに述べたように、単なるイノベーションが、経済的な価値な価値のみを提供することを目的とするのに対し、ソーシャルイノベーションが、社会全体に対して、社会的な価値、および、経済的な価値、という2つの価値を提供するためです。このようなソーシャルイノベーションを実現するためのデザイン思考、およびデザイン思考を活用したデザイン手法を本blogでは実践例を交えて、紹介いきたいと考えています。
さて、次回はソーシャルイノベーションの場(フィールド)としてのBOP(Bottom of the Pyramid)と呼ばれる社会経済学上のグループについて考えていきたいと思います。